画家Saya.ができるまでVol.01「Saya.幼少期」
絵を描き始めたきっかけを話そう。
幼少の頃から絵を描くことだけが心のよりどころだった。
5歳の頃母が亡くなり弟と共に母方の祖父母に育てられ過ごした。
寂しさを紛らわせるために絵を描き、歌を歌った。
絵を描くことと歌う事は均衡していて、楽しさゆえに集中力がとにかく半端なかったらしい。
その絵というのも普通は動物とか人物画を描くだろうが、私はこの時からなぜだか模様が好きだったようで、お皿の模様、着物の模様、古書の扉の裏紙のマーブルなどをクレヨンで描いていた。
母の影響もありハリー・クラークの絵とセロハンの入った万華鏡、幾何学模様や着物の模様が好きだった私は、幼稚園の頃から真似して描く変な子だった。
勿論、幼稚園生の描く絵なので、遠く及ばないのは言うまでもないが、私の周囲の大人たちは幼稚園生にも容赦なく常に「なんじゃこりゃ」と言われていた。
誰一人としてほめてもらったことは無い(笑)。
それでも、なんでか絵を描いた。
ただただ楽しかったのと、母を思い出せたからだと思う。
祖父母は気まぐれや理不尽なことで怒り出す癖がかなりあり、その矛先になった際も現実逃避をするかのように絵を描いた。
祖母にはその姿がたまに「誰かを呪ってるように見えていた」らしく、また怒鳴られることもしばしば。
ここまで来たらトラウマのようになるじゃない?普通は。
だけど、私はならなかった。
楽しいし、私の頭の中の物が紙に乗らなかったら癇癪を起すんだけど、また描きたい衝動に駆られて黙々と描く。
そんな子供だった。
そんなことをしてりゃ、友達も少ないわけで人見知りも悪化。
幼稚園の時は超引っ込み思案な子で父が石川へ来たときは、父から片時も離れなかったそうだ。
元々お父さん大好きな子供だったが、完全に盾にされてたらしい。
大人になってからよくこのエピソードは酒の肴にされた。
あの頃が懐かしいとか言われたが、父が私の絵を描く理由を知っていたらどうなっていたのか、今となっては分からないが、父も悪い気はしていなかったらしい。
父曰く、「あの後ろをついて回って離れなかった幼稚園生のお前は可愛かった。」
天の父よ、私ももう立派なおばさんとなりました。
いや、もうじゃないか。とっくに・・・か(笑)。
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